アワティニャスは美しく獰猛だった。
2005-10-20 Thu 00:11

【AWATIN~AS / "Kullakita"】(1990)

ショックだった。

このアルバムに針を落とした瞬間、いきなりゴルゴ13に狙撃されたくらい驚いた。※1
もう逃げられない。
観念するしかない。
ゴルゴから逃げられた者はいないのだ。
ゴルゴ……いや違った、ボリビアにさしてこだわりを持たなかった私が、その後何年もボリビアに縛られてしまった

迫力のサンポーニャ・プレイ(というよりシクリアーダっていった方が感じが出る?)。
アイマラ語でかぶるユニゾン。
的確にボンボとギターはベースリズムを刻み、ロンロコ、チャランゴはこれらをサポートする。

ガサガサとしたサウンドはいかにも「洗練性」から遠いようでいて、
それでいてカッコよく新しかった
あのとき(もう20年近くたっちゃった)の私は、これでもうボリビアからは逃れられないと思ったものだ。
正面から堂々とボリビアフォルクローレで勝負をかけた名盤だ。

●時代が生んだ奇跡のアルバム
カルカス的アプローチが蔓延して現在の演歌ヘヴィメタのアレンジのようにそれが一つのパターンとして決まってしまい、閉塞感がぬぐえなくなった90年頃、様々なミュージシャンによって多くのアプローチがなされた。

ジャズ※2、テクノ※3、ブルーズ※4、プログレ※5、クラシック※6…様々な手法を学んだミュージシャンがそのニュアンスを自分の音楽に導入しようとした。
どれが優れているかではなく、(今思えば)、どれもボリビア音楽を活気づけようとした試みだったのだろう。

大切なのは、当時のボリビアフォルクローレの動きの中で様々なアプローチがあったなか、アワティーニャスが借り物ではなく、アウトクトナの感覚というボリビアフォルクローレらしさをネオフォルクローレに持ち込み、アプローチをかけた、ということだろう。
前作で得た評判に多少の自信もあったかもしれない。※7

しかし、前作の延長線上にありながらも前作とは大きく違う。
A面ではモレナーダや泣きのケーナを聴かせるにあたって、控えめなアウトクトナを間に挿んでそれぞれの曲を際だたせる。

B面1曲目ではいきなりボンボの叩き方をアルゼンチンっぽい奏法に変え、ポップ感あふれる曲で盛り上げる。
盛り上がったところでつづくナンバーは、ケーナソロ→チャランゴソロ→トヨスとそれぞれの楽器の魅力とノリをたっぷり味わえるカルナバリートでクライマックス。
その後、泣きのヴォーカル・コーラスをたっぷり聴かせるバラードを入れる。


うますぎる

このように1曲1曲のつながりまでよく計算され、サウンドと録音の相性(決して音が良ければ良いというものではないのだ)までが理想的なアルバムがボリビアから出されたというのは奇跡に近い。
我々はこのアルバムが出されたことを神に感謝しよう。

あなたがゴルゴの銃弾にハートを撃ちぬかれますように。

●愛するがゆえの苦言
ところで、正直に告白すると、私はこのアルバム以降のアワティーニャスのアルバムは好きになれない
2枚のベスト盤を経た後に出された彼らのアルバムは、完全な2匹目のドジョウねらいでものすごく私を落胆させた。

このときからアワティニャスの新作はパターンが決定してしまい、1曲1曲がすべて、「あ、これは"KULLAKITA"だ」「この曲は"YURI"か」など、このアルバムのナンバーになってしまうのだ。
せっかくこのような歴史に残る素晴らしいアルバムを出したのだから、もう少し頑張ってほしいものである。


●Awatin~as "Kullakita" 


●Awatin~as "Wara"

【注】
※1
自称デューク・東郷。いわずと知れた国際的超A級スナイパー。狙撃最大距離は2Km、拳銃を抜く速さは0.17秒。……というか狙撃されたら、「驚いた」ではすまない。

※2
たとえば、INTI BOLIVIAはフュージョンの影響を。また、70年代から活躍しているWARAやALTIPLANOも(最初はプログレよりでも)このころはむしろフュージョンに影響を受けている。BOLIVIAN JAZZはそのままジャズだし、この後活躍するカルロス・ポンセなどもその流れにある。

※3
いまのテクノの定義からすると、「いいすぎ」と感じられるかも知れないが、このころ打ち込みを始めたK'ALA MARKAは、まさにアイマラ・テクノといった風情だった。

※4
INTI BOLIVIAの看板だったサウル・カジェーハスのチャランゴとヴォーカルは、それこそ今までのボリビアにはなかったブルージーな味わいを感じさせた。

※5
2年後に発売されたLUZ DEL ANDEのアルバムは、音楽的な実験性に富むきわめて完成度の高い作品でありながら、難解なところの全くない名作だった。アルバム・コンセプト、世界観の構築性の高さはプログレに共通項を見いだすことも出来よう。

※6
クラシックというか、現代音楽の手法で攻めてきたのが、ベルリン帰りのCHACALTAYAだ。

※7
もちろん、アイマラやルーパイなどもそうなのだが、ここでは「90年頃のネオフォルクローレの閉塞感を破った」動きとしての話に限定。アワティーニャスも80年代初期のアルバムを聴くと、アイマラと同じように「ネオフォルクも演奏するアウトクトナグループ」というイメージが強い。


【アルバム・データ】
<LP>
AWATIN~AS / "Kullakita"
RLPL-534 (1990)
DISCO LANDIA(BOLIVIA)

1 KULLAKITA (Huayn~o Aymara)
2 KAWANA (Choquelas)
3 QUILQUINCHOS DE CORAZON (Morenada)
4 YURI
5 SAYRI (Sicreada)
6 GUERRERO AYMARA
(Extracto del poema "La muerte del Illimani de Marcalo Ulioste")
7 WARA (Carnavalito)
8 MI TRISTE ADIOS (Cancion Huayn~o)
9 WAILAMAJ WILAJAWA
10 BOQUITA DE MIEL (Taquirari)

<CD>
CD-534 D.L.:4-4-99-99 (1999)
INBOFON (BOLIVIA)

●どうでもいいが、CD版のジャケットセンスはどうにかならないものか……。
●LPはアイマラ語の曲名にスペイン語が添えてあったり、形式名が入っていたりするのだが、CDの方はそれらはカット。そればかりか曲順が一部間違っていたりするので注意(ボリビアじゃ普通だけど)。
●CDはボリビア版とは別にフランス版も存在するらしい。ジャケットはLP版と同じもののようだ。(このCDの入手体験記はDisco Andinoを経営されているchubeiさんのHP「TAKAOMANTA」に詳しかったが、残念なことにかなり前に閉鎖された)。


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