大事なのは2発目!…カルカス
2006-02-12 Sun 21:52


【KJARKAS / "KUTIMUY(vuelve)" 】(1979)


何でも1番目、しょっぱなが一番大事なのは誰しも知っている。
でも本当に大事なのはその次でしょ。
●「ターミネーター」より「T2」がしょぼかったらダメでしょ。
●合コンの第一印象が良くても、「さあ、いざデート」で「実は変態でした」じゃドン引き。
●フルコース食べに行って前菜の「鳥の胸肉カルパッチオ仕立てラヴィゴット添え」がメチャうま。でもメインが「イナゴの佃煮」だったらがっかり。
●ヒット作が出ても次が駄作なら一発屋。

そう、デビューやヒットの怖いところは2作目次の作品なのだ。その点、カルカスはどうだったか。
……実は私、このLPだけはカセット版でもどうしても入手できず、長らく悔しい思いをしていた。2作目はどうだったんだよおって
ボリビア本国でもいまだにCD復刻されていない
しかし、何とペルーから復刻CDが出たのだ。左翼テロが横行して経済が崩壊していた80~90年代には「LPの出版をやめ、すべての音源をカセットに切り替える」とのアナウンスまでされていたため、全く期待していなかった。
嬉しいハプニング。
でも、欲しいものが入手できずにいる状態が長らく続くと、いざ現物にふれたときには落胆することが多くない?
その点このアルバムは、いやいやなかなかどうして。
1stアルバムを遙かにしのぐカッコよさ

このアルバムは12曲中8曲にわたってフリオ・ラバジェンが関わっており、後のカルカスには見られないロッケンなスピード感だ。
特に7曲目、"RENACER A LA VIDA" (trote) 。
疾走するトローテの中、複数のメンバーがヴォーカルをバトンするノリなどはボリビアフォルクローレにありそうでなかなか見あたらない。
曲順もよく練られており、80年代中盤からのカルカスよりも全体に緩急があるため、CD以前のボリビア録音としては珍しく12曲も収録しながら、全く飽きさせない。
これを聴かずしてあれがカッコイイ、これがカッコイイなんて言わせない!

【注】

実はカルカスとしての1stアルバムとこの2ndとの間には、M&Sから「
FORTALEZA(スペイン語で「砦」の意)」名義で出されたアルバムが2枚ある。ジャケットの色から「黒盤」「白盤」とでもいうべきそれらの盤は、カルカスの特徴「ノリ」「歌もの」という印象よりも、どちらかというと「静かな」「インスト」のコンセプトが強い。
現在はCDで1枚に編集されたものが「KJARKAS」名義で出版されているため、これらのアルバムをカルカスの盤として認識している人が多いようだが、
違うプロジェクトとして認識した方が理解しやすいのではないか。


●"RENACER A LA VIDA"

【アルバム・データ】
<LP>
KJARKAS "KUTIMUY(vuelve)" (1979)
Discos Heriba SLP - 2126 (BOLIVIA)

01. KUTIMUY (VUELVE) (huayno)
02. KILLA WAN~UY (MUERTA de la LUNA)(aire de cueca)
03. TATA INTI (PADRE SOL) (rogativa)
04. CAMINO DE LA MONTANA (tonada)
05. MANUEL TRISTE (chuntunqui)
06. FANTASIA (carnavalito)
07. RENACER A LA VIDA (trote)
08. DEBAJO DE LA ENRRAMADA (cueca)
09. ANTAWARA (huayno)
10. TINKU (trote)
11. INTI N~AN (trote)
12. BURRO VILLANCIQUERO (chuntunqui)

<CD>
KJARKAS "KUTIMUY(vuelve)" (1995)
IEMPSA C.D.91150124 (PERU)
●LP盤は入手不可。
●CDは多くのお店で扱っているのでぜひこれを機会に聴いてみて欲しい。


大事なのは2発目!…カルカスの追伸
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追悼 伊福部昭
2006-02-12 Sun 16:35


【伊福部昭の芸術1 譚 - 初期管弦楽】(1995)

伊福部昭が亡くなった。
中高生の頃はフォルクローレのLPより、伊福部のLPだった。
キングレコードから出た『「日本の太鼓<ジャコモコ・ジャンコ>」「交響譚詩」』『「シンフォニア・タプカーラ」「合唱頌詩オホーツクの海」※1』が宝物だった。
あのころの伊福部はそろそろ70代に手が届こうかというところだったが、「元来長寿の家系で」などとどこかで読んでいたので、まだまだ元気なものと思いこんでいた。

単純に邦楽器をフィーチャーすればそれで良いという安易な発想はこれきしもない。邦楽のメロディーや「わびさび」を混ぜようなどというチープな発想もみじんも見られない。常に自分のルーツと心性に向かい合った結果生まれたプリミティヴな躍動感と音
コレこそ今の日本で一番「フォルクローレ」している音楽だろう。
彼の音楽に関してはもう語り尽くされたから、もうこれ以上、私がここで述べるまでもない。※2

ご紹介するべきディスクは多々ある。
しかし、ここでは入手しやすく、好演奏、好録音で、初期の情熱が込められた音楽ということでデヴュー作『日本狂詩曲』(1935)が収録された1枚を。※3

ところで伊福部の亡くなった翌日の各紙は「ゴジラの作曲家」という表現ばかりだったので驚いた。
しょせん、一般的にはそのような認識かと思いながらも、考え直してみるとあのゴジラのテーマは確かに伊福部のもっとも伊福部らしいところを表した名曲であると改めて思い直した次第。※4
【注】
※1
「合唱頌詩オホーツクの海」のCDが手に入らない。考えてみたら、シリーズ「伊福部昭の芸術」に収録されていない。私はこの曲に深い思い入れがあるので、ぜひとも新録していただきたい。とりあえず、レコードをCD-Rに焼くしかないか。
※2
かつてLPの解説で伊福部の音楽をさして「縄文土器のような」という表現がなされていたが、これほど伊福部の音楽の特質を表している文章はないと思う。ところで詳しいことをお知りになりたい方は、
木部与巴仁『伊福部昭 音楽家の誕生』(新潮社)1997
をご一読されたい。
※3
ラヴェルが審査員に名を連ねると聴いた伊福部がチェレプニン賞に応募。1位を獲得したデヴュー作。
3年後、この曲のラジオ放送を自宅で聴いたシベリウスがすぐに指揮者の小舟幸次郎に電話をかけ、伊福部を大絶賛したという。
※4
あの重低音のメロディの執拗な繰り返し(オスティナート)こそ伊福部の特長であり、日本人の本質にある根元を揺さぶるものかも知れない。



「日本狂詩曲 1.夜曲」山田一雄指揮/新星日本交響楽団


「日本狂詩曲 2.祭」山田一雄指揮/新星日本交響楽団


【アルバム・データ】
<CD>
伊福部昭の芸術1 譚 - 初期管弦楽 KICC 175 (1995)
広上淳一指揮 日本フィルハーモニー交響楽団
FIREBIRD(KING RECORD)国内盤
1 日本狂詩曲(1935)
 1. 夜曲
  2. 祭
2 土俗的三連画(1937)
 1. 同郷の女達
 2. ティンベ
 3. パッカイ
3 交響譚詩(1943)
 1. 第1譚詩 アレグロ・カプリッチオーソ
 2. 第2譚詩 アンダンテ・ラプソディコ




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カルカス登場!
2006-02-07 Tue 23:34


【KJARKAS】(1976)

猛烈な臭気の男子クラスを脱し、共学クラスに入った高2の頃。
隣に女の子が座っていることへの感動で骨抜きになったか。
気がついたら、とんでもない偏差値になっていた。※1
不安におびえるつらく貧しい浪人時代。
世間の冷たい目に堪え忍びながら、将来どうなってしまうのかと
考えなくてもいい余計なことを考えてしまう日々。
FMラジオから流れてきたのが、このカルカスの特集番組。
"WAYAYAY"、 "BOLIVIA"、 "LLORANDO SE FUE" …。
修行僧のような生活の中で、初めて聴いたときのあのドキドキ感。
地獄の業火に焼かれし罪人の耳に届いた賛美歌か、
それとも魅力たっぷりの悪魔のささやきか。
後に知ることになるアワティニャス同様、ボリビアという国を
強く意識させてくれたグループだった。

今までの記事の断片から、筆者はアンチ・カルカスであるという誤解が
一部で生まれているようだ。※2
いやはやとんでもない話だ。
私は嫌いなものは余りないし、あればあったでもってまわった言い方はしない。
とことんウン○呼ばわりする男だ。
だから、すぐわかるではないか。
当然、大ファンなのである。
いや大ファンって、ウ○コのじゃないよ。
カルカスの。
特にウリーセス・エルモサが亡くなるまでは、当時の多くの人と同様、
ほとんどカルカス教徒だった。
もはや至高の域に達した一人一人の技術力。
それらが合わさって生まれる完璧なアンサンブル。
オリジナリティあふれる斬新なアレンジ。
ボリビア随一ともいえるエルメール・エルモサのヴォーカル。
新たなリズム形式を発掘し、ヒットさせるフロンティア精神。

ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリン、クイーン……かどうかはわからない。
このようなたとえで説明がつくかどうかもわからない。
ボリビア・ネオ・フォルクローレを確立して※3頂点に立ち、
そしていまだに最大のスーパーヒーローでありつづける。
それがカルカスだ。

ところで、一介の浪人生を打ち震えさせたカルカスサウンドの秘密って何だろうか。
それにこたえるにはまずその音楽性をもう一度考えなくちゃ。
実は一口に「カルカスサウンド」なんて呼ばれているが、
そのサウンドにもいろいろ変遷はあるのだ。

●【第1期】…1st "KJARKAS" ~メンバーチェンジ・Lauro移籍あたりまで※4
●【第2期】…移籍後~ウリーセスが亡くなるまで。
●【第3期】…若干の活動停止期間を経てゴンサロ・エルモサを中心に復活~現在。

日本のファンの間で最も人気が高かったのが、ウリーセス・エルモサの音楽性が強く表れていた第2期である。
この時期の彼らのサウンドは、まさに円熟の極み。
フォルクローレによる「B-POPS」ともいえる路線はここに完成したといってよい。

でも今回は、そうしたカルカスが完成する前の第1期カルカスのアルバムを紹介することで、彼らのサウンドの魅力を考えたい。

第2期をB-POPSとすれば、第1期はシンプルなロックである。
70年代当時、ボリビアの政情は混乱を極め※5、欧米各国では社会の流れと連動したロックの名盤が60年代から続々と生まれ続けていた。
こうした背景も無縁ではなかったのかもしれない。
流入するロックへ反発しつつも、やはり意識していたのではないか。※6
「単に曲想が単純だっただけ」といわれればそれまでだが、やたらカッコいい曲ばかりだ。
実は社会背景を見ると、80年代に入って、激動の時代が幾分とも収束方向へ進むに従い、アーティストとしてのカルカス、もしくはオーディエンスの求めるサウンドの傾向は社会情勢と比例して変化していっている。
"SOL DE LOS ANDES"('84)、"DESDE EL JAPON"('85)…とアルバムを重ねるにつれ、従来のフォルクローレのコード進行やアレンジ・方法論にとどまらなくなっていく。
日常の感情を表現しうる新しい音楽を求め、第1期のシンプルなサウンドから第2期のもっと表現の幅を広げた叙情的サウンドに変容していくのだ。

ということは、ここで話題になっている第1期カルカスはアレンジも作曲も演奏も全てにおいてシンプル。いいかえれば、未完成
でも未完成であろうと、みかん星人であろうと、カルカスの初期のアルバムには、後の完成されたカルカスにはないプリミティヴな力強さ、スピード感、カッコよさがある。
この「カッコよさ」には、
(1)「comtenporaneo(同時代性)」と
(2)「raices(根)
という一見相反する二つの要素が含まれており、この時点でゴンサロが模索した「新しいカタチ」をもっとも色濃く反映している。※7

ボリビア第2の国歌といわれるほど、現在でも廃れることなく歌われるカルカスのテーマ曲「ボリビア」
後に歌詞をつけてヒットするインスト・ナンバー「クティムイ」


"Bolivia (2003)"

何はともあれ、スーパースターの1stアルバムは生まれた。
このアルバムを足がかりとして、6年後に名盤 "canto a la mujer de mi pueblo" ('82) が発売される。
そこに収録された"wayayay"や"llorando se fue"の汎ラテン的大ヒットが、彼らのその地位を確固たるものにした。

彼らのサウンドは、時間と場所を隔てた日本の一浪人生にまで大きな影響を与えたのである。

【注】
※1
書けない。
とてもこんなところに書けないわっ。

※2
私に限らず多くの人がそうだったと思うのだが、私はアンチカルカスではなく、アンチカルカッシズムなのである。多くのグループがアレンジ・コンフント編成・ヴィジュアルにいたるまで、あらゆる点でそのスタイルを模倣した。ついにはそうしたカルカススタイルのコンフントがボリビアフォルクローレ界の主流派にまでなり、うんざりするような時代まであった。
ただ、誤解なきよう重ねて言うが、そのような中でもカルカスはオリジナル性と常に新しい驚きをもたらす図抜けたプレイで他のコンフントをひきはなす超然としたグループであった。

※3
カルカスの前にフォルクローレに若者を呼び寄せたのが、当初プログレ的なアプローチ(後にフシオン的になるが)を行ったWARAである。ついで、チャスカスはアイドル的な人気を得るようになり、スタジアムを埋め尽くす人気だったとか。
この後、'80~'90のカリスマとしてカルカスが登場した。

※4
プロデビュー前に、エルモサ家の長兄ウィルソンをリーダーとした趣味としてのカルカスもあったらしい。ウィルソンは現在、カルカス・ブランドの工房でロンロコやチャランゴなど楽器を製作している。

※5
たとえば、このアルバムが発表された1976年から簡単にみてみよう。
   <76年>前大統領トレスが亡命先のブエノスアイレスで拉致され射殺。
       政府は全土に非常事態宣言を発令している。

   <77年>クーデターが発覚。

   <78年>非常警戒態勢。チリと国交断絶。サンタクルスで武装蜂起。
       選挙が行われるが無効選挙に。

   <79年>陸軍によるクーデターが勃発。ゲバラ暫定大統領は地下へ潜伏。
       このとき反対派の市民数十人が軍により殺害される。

   <80年>軍と麻薬業者との癒着を究明しようとした左翼系紙の編集者である神父が
       テロ集団に誘拐されて拷問・虐殺されたのを皮切りに、激動の年となる。
       副大統領候補の搭乗飛行機、爆破される。コカイン・クーデター勃発。 
       ガルシア・メサ陸軍司令官が、COB本部・米大使館を襲撃。
       反対者を続々逮捕し、拷問の上、暗殺。前大統領は亡命。
       ボリビアはアンデス・グループから脱退。

   <81年>左翼系青年活動家9名が拷問・虐殺されたのを皮切りに、500名が殺害され、
       1500名が亡命。陸軍総司令官によるクーデター失敗。
       陸軍全参謀総長らによるクーデタによりメサ大統領は失脚。
       中央銀行のドル払底。
       国連代表団はシレス・スアソの亡命政権承認。

…しかし、いろいろ問題はあれど、翌82年ボリビアは民政移管を果たす。
この前後からカルカスは第2期に入るのだ。

※6
「カルカス kjarkas」という語はケチュア語・アイマラ語で、インカ時代の「砦」を意味している。異文化であるセルバ地帯との国境軍、および砦という意味を併せ持つということは、欧米の資本主義による音楽など外国文化流入の砦になるという意味もその名前に含まれていたといってよいだろう。動詞の意味では「恐怖を起こさせる」「拡張する」などの意味を持っているそうで、要は「We will rock you」だ。(←え、ちがう?)

※7
ゴンサロはボリビア音楽の模索を開始するまでは、趣味でメキシコ音楽をやっていたそうなのである(ロス・レジェスのファンだったとか)。
マリアッチなどのメキシコ音楽は世界的にも当時人気があり、ボリビア音楽の新しいカタチとして、スタイルや精神性は少なくともカルカスのモデルになった可能性もある。


【アルバム・データ】
<CD>
KJARKAS
SLP-2040(1976)
HERIBA (BOLIVIA)
01.BOLIVIA (Huayn~o)
02.PRIMER AMOR (Huayn~o)
03.CHILLY (Tonada Cacharpaya)
04.CUTIMUY (Kaluyo Cacharpaya)
05.LEYENDA DEL AMOR (Huayn~o)
06.PARA CANTARLE A LA PATRIA (Bailecito)
07.DEJE MI QUERENCIA (Huayn~o)
08.PACHAMAMA (Yaravi)
09.CACHARPARIHUAY (Cacharpaya)

●カラーではなくいわゆる2色刷のぺらぺらのジャケット。
写真は裏が荒々しく彫り込まれたボリビアのカタチをしたロンロコ。
表もやはり荒々しく彫り込まれたメンバーの(?)モニュメント。
何ともシンプルかつかっこいいサウンドを彷彿とさせるジャケットじゃありませんか!
●もちろん、ご多分に漏れずCD化されていない。
しかし、カルカスに限って言えば、もしかしたら復刻CDがプレスされる可能性はある唯一のグループである。ボリビア盤だけでなく、ペルーのIEMPSAレーベルあたりもいきなりカルカスの復刻を行ったりしているので、常に注意していよう!


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