「島人ぬ宝」+「方丈記」=グルーポ・アイマラ
2007-10-28 Sun 21:11

【Grupo AYMARA / IMANTATA】(1977)

怖い。誇張なしに怖すぎる

なぜって、70年代半ばから80年代初頭のオロスコやルシアーノのサウンドは「カッコイイ」とか言う前に、「凄すぎる」のだ。鬼神でも憑いてるんじゃないのか、という恐ろしさだ。

"CONCIERTO EN LOS ANDES DE BOLIVIA" (1972)で斯界に衝撃を走らせたグルーポ・アイマラ。その名を不動のものにした史上最強の2ndアルバムが "IMANTATA" だ。
とにかくそのLPといったら、最近までずっとプレスされ続けていたにも関わらず、もはや伝説的※1

しかし、特筆すべきはこのアルバムの構成なのである。
これだけアウトクトナの凄さを見せつけたアルバムでありながら、アウトクトナは半分だけ。収録曲の半数は一般受けしそうなネオ・フォルクローレ

「な~んだ。結局、適当に曲を放り込んだアルバムなんでしょ?」
「まあ、セールスを考えて『聴きやすいように』とか、そういう配慮でしょ?」

いんや。多分違う。

"IMANTATA"はおそらく、アイマラ文明の「再生(ルネサンス)」をテーマにしたコンセプトアルバムなのだ。物凄い演奏だね、配曲センスがいいね、で済ませていいアルバムではない。この、一見すると何気ない、でも気付くと凄いという、さりげなさがまた怖いのだ。

なぜ、アウトクトナとネオ・フォルクローレをまぜこぜに収録しているのか。
答えは二つある。

●アウトクトナにもネオ・フォルクローレと同じ地位を

一つ目の理由は、アイマラ文化(=アウトクトナ音楽)の復権運動だ。
二百数十年にわたる植民地支配、そして独立後の経済的・社会的格差……。
いつの間にか、ボリビア社会では「白人層のモノは何でもよし」「先住民層のものは何でもダメ」とされてきた。

ところが、70年頃になってロス・ハイラスのネオ・フォルクローレが海外でヒット※2。「低俗」だったはずのフォルクローレが、クリオージョ層の憧れの地、パリで評価されるとはあまりに意外だったに違いない。何にせよ、これを受けて、ボリビア国内でのフォルクローレの評価が急激に上昇し始める。しかし、ハイラスが作り出した音楽は、アイマラ文化というよりは都市で変容を遂げた新しいハイブリッド・カルチャー(融合文化)だったといってよい。

そうした状況下で"IMANTATA"はリリースされた。メンバーのオロスコらはプログレバンド・WARAへの参加※3を通して学んだ経験・手法をアルバム作りに取込み、アイマラ文化/アウトクトナの復権を訴えたのだ。

このアルバムに関して、ジャケット裏面には以下のコメントがなされている。

●「伝統・伝説・習慣といった無限の時空を通して、IMANTATA(隠されたもの)は我々に保存されている」
●「我々の祖先に愛と尊敬のトリビュートを...... 」

自分たちの何気ない感覚・習慣などの中に、先祖から連綿と受け継がれてきた素敵な宝ものが伝わっている。ここでいう「隠されたもの」とは、「アイマラ人だけの宝もの」といった意味に解釈してもよいだろう※4

ということはだ。

都市における文化変容の象徴ネオ・フォルクローレ。
山岳地帯の共同体で演奏されてきた伝統的アウトクトナ。

この二つを行き来する"IMANTATA"の構成は、これらの音楽がいずれも先祖からの贈り物であるということを主張しているのではないか。

アウトクトナとネオどちらを演奏しようが、
アウトクトナとネオのどちらの世界に住んでいようが、
伝統的共同体と都市社会どちらに住んでいようが、
そんなことはさしたる問題ではない。

その宝物が、海外で評価されたハイラスのような音楽になり、またあるときは、都市からあまり顧みられることのなかった山岳地帯の共同体音楽になるのだ。

そう、彼らはネオ・フォルクローレとアウトクトナを一直線につないでみせたのである。

●アイマラの歴史観

さて、まぜこぜには二つ目の理由も考えられる。
それは、アルバム全体の世界観に関わる問題だ。

「イマンタタ(隠されたもの)」というタイトルとジャケット、前々から気になってはいたのだ。

いわゆる「アポカリプス(黙示録)」なんじゃないのか。

この世の終末、神と悪魔の最終決戦、そして新たな世界への浄化。
大昔から西欧人を恐怖させ、かつ宗教的情熱に駆り立てた預言である。

じつはこの「アポカリプス」、直訳すると「黙示録」でも「啓示」でもない。
ギリシア語で「隠されたもの」という意味なのである。

以前書いたウァンカラの「SKY' S MOTION」と同じネタになってしまうのが恐縮ではあるが、仕方がない。おそらくこのアルバムは「アイマラの黙示録(世界再生)」なのではなかろうか。

例えば、「新約聖書・ヨハネ黙示録」の終末の描写には、やたらと星に関する記述が現れる。中でも最も象徴的なのは、永遠の世界を築く「神」がその徴として「七つの星」を右手に登場することだ。

こうしてみると、『IMANTATA』の星座まみれのジャケも象徴的ではないか!

以下は、ちょっとした組曲的な感さえあるM-7の歌詞である。

<1> Ancestro
    高原のそよ風
    彼方の声をもたらす
    償却の先祖の叫び声を

    私たちの同胞のために
    祖父の幻影は苦しんで、涙する
    時は消せない

    理想の日は近い
    破壊された高原の神殿
    彼らは立ち上がる
    時は輝きを増す

    パチャカマックが光を照らさんと来たる ※5
    幾千もの声が発す
    創造の人類のための平和

<2> Aliran~a
    パチャカマックは照らす
    創造の光を
    アンデスで聴け
    声を揃えて歌う声を

<3> Awki Awki
    (インスト)


こうして見ると、
<1>で現状の苦しい世界を描き、
<2>で曲調が激変してアンデスの神の復活と世界の復活、
<3>で新しい世界 (?) を描いている。

これは明らかに「アンデスの黙示録」ではないのか。
"IMANTATA"発表から17年経った1989年、アルゼンチンのウァンカラ Huancara も同じネタ、つまりアンデスの黙示録を扱っている。
彼らは、先住民の終末観を純粋に音楽化し、終末から新しい世界の誕生までを聖書の時系列に沿って描き出してみせた。いかにもアルゼンチンの白人バンドらしいアプローチだ※6

しかし、グルーポ・アイマラはそのような神話的手法はとらない。
では、どのような構成を作品に与えたのか。

なんとこのアルバム、意外なことにオリジナル曲は半分のみである。
グルーポ・アイマラの場合、1曲1曲にストーリーを託して表現するという手法より、「アウトクトナ」と「ネオ・フォルクローレ」の曲順構成世界観を見せるのだ。

「一つ目の理由」で述べた通り、グルーポ・アイマラは山岳地帯の伝統アウトクトナと都市社会で誕生したネオフォルクを対立するものとはとらえていない。いずれも先祖から伝えられたことを表現する手段のひとつとし、ネオフォルク以前から存在していた山岳地帯のアウトクトナの復権を唱えたのである。

とするのなら、アウトクトナで始まり、中盤はネオ・フォルクローレを多く挟みつつ、最後はきちんとアウトクトナで終わっていることの意味を私は考えてしまうのである。

しかも、終曲はタルケアーダだ。古来アンデスには存在しなかったリコーダー型の笛の合奏でありながら、サウンド的には制御しがたい野趣に溢れた激しいパンクのようなサウンドであり、もっともアウトクトナらしい演奏形態ともいえる。

西欧文化をも吸収してアイマラ色に染めていくチカラというか。

私には、現代(ネオ)と伝統(アウトクトナ)の繰り返しで文明の循環無常観輪廻までをも描ききろうとしているように見えて恐ろしい。


●"IMANTATA"

【注】
※1 
名刺代わりのタイトル曲 M-1 " IMANTATA"。
世界を震撼させた前作の代表曲 "MI RAZA"より、さらにグレードアップして超ハードなナンバーだ。弦は一切なし。超重低音サンポーニャ(ハチャ・ラキータ)に太鼓の伴奏のみ。ぶっちゃけ、ただひたすら同じメロディが繰り返されるだけの曲なのだが、大地と空気を揺るがすド迫力のサウンド。ときおりインサートされるアイマラ語の叫びや金属音が、若干の浮遊感覚をこの曲に与えている。

まるで人にも大地にも空気にも震えをもたらす雷(イリャパ)のようだ。それをいうなら、M-1だけでなく、同じくハッチャ・ラキータが活躍するM-5、M-7の凄さも筆舌に尽くしがたいほどのイリャパっぷりだ。

ネオ・フォルクローレがメインストリームであった当時のフォルクローレ産業界。ここにアウトクトナ音楽が揺さぶりをかけ、商業音楽として十分成立することを証明した歴史を語るには、こうした名盤の存在は欠かせないのである。とにかくその他にも、ピンキージョやラストを締めくくるタルケアーダなど、空気を切り裂き、地響きが起きるような音が続々。アウトクトナという音楽の凄まじさを当時のフォルクローレ界に、これでもかと見せつけたであろうことは想像に難くない。

※2
エルネスト・カブール(charango)、ヤヨ・ホフレ(voz)、ヒルベルト・ファブレ(vientos)、フリオ・ドゴイ(guitarra)といったメンバーで66年から活動を開始。現在よく知られているチャランゴ、ケーナ、ギター、ボンボといったネオフォルクローレのコンフント・スタイルを確立し、フランスなどヨーロッパで大成功をおさめた。

※3
グルーポ・アイマラのメイン・メンバーであるクラルケン・オロスコ(charango)、ルシアーノ・カジェーハス(vientos)は、プログレ・バンドWARAの初期の名作"MAYA" "PAYA"などに正式メンバー扱いで参加している。それから2年後に発表されたのが本作である。そう、アウトクトナやクリオージョ音楽などの曲順配置や構成によってフォルクローレの歴史と未来を描いた、あの"PAYA"に参加した後の作品なのである。アイマラの1stと本作2ndが構成方法において著しく違うように感じるのは、その手法の差と言ってもよいだろう。ちなみに、WARAの幻の超名盤プログレ1st"EL INCA"でヴォーカルをとっていたナタニエル・ゴンサレスはWARAを抜け、このアルバムからアイマラに参加することになる。

※4 
ビギンの「島人の宝」と同じかね。うりかめー。

※5
パチャカマック Pachacamac は、インカ時代には海岸地帯の大祭祀センター神殿の主神として篤い信仰の対象になっていた神である。大地母神パチャママの夫とされ、植民地期のインディオの千年王国運動であるタキ=オンゴイ運動の際にはアンデス世界のワカ(聖なる物)が集結する場所とされた(もっとも最近の研究では、タキ=オンゴイ運動の存在自体が捏造とされているようだが)。

※6
89年時点でのウァンカラのメンバーは音楽大学出身やロック畑が中心であり、プログレッシヴ・ロックの影響が多大に見られる。


【アルバム・データ】
<LP>
"Grupo AYMARA / IMANTATA" (1977)
SLPL-13300
Lauro Records (Bolivia)

01.IMANTATA
02.HUELLAS DE MI LLAMITA
03.DESDE LA ROTONDA
04.FLOR KANTUTITA
05.ANAJPACHA-JILATA
06.TUSUY IMILLA
07.a)ANCESTRO b)ALIRAN~A c)AUQUI-AUQUI
08.VIENTOS QUE VOLVERAN
09.IMILLA AWATIRI
10.WAYRA-WAYRA
11.TARQUEADA
●なぜかCDが出ていない。由々しき事態である。
●デジタル化されていないはずのこのアルバム、中国やロシア、アメリカなど各国のサイトでMP3ダウンロード販売されている。どういうこと?

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