カルカスがサンポーニャを多用したワケ
2008-03-31 Mon 01:14

【KJARKAS / Condor Mallcu】(1980)

さて、質問。
フォルクローレの楽器と言えば、なーに?

えっ、マトラカ。このマニアが。
一生ジャッジャカやってなさい。


……まあ、実際は日本人の大半が「ケーナ」と答えるだろう。
かつて同僚にも「結婚して、女の子が生まれたら『恵菜』って名前にしなよ」なんて言われたものだ。※1

そーゆーこと言う前にまず相手を……げほん、ごほん。
……とりあえず、それほど「フォルクローレ=ケーナ」という図式が完成している。

しかし、実際に現在のボリビアのネオ・フォルクローレのアルバムを聴いてみたまえ。ほとんどの楽曲のメインをサンポーニャが張っているではないか。むしろケーナが主役の音源を探すことはきわめて困難だ。80年代よりこっち、主役の座をサンポーニャに譲り渡してしまったといっても過言ではないだろう。

こうしたサンポーニャ時代のきっかけをつくったのは、あのエルネスト・カブールだ。サンポーニャ・ソロをフィーチュアした "LEN~O VERDE" 。彼が緊迫感溢れるこの名曲を発表したことにより起きた現象である。

しかし、ここまでケーナがないがしろにされ、誰も彼もがサンポーニャをメインにアレンジを組み立てるようになった直接的原因は、おそらくカルカスにある。
※2、3

●カルカスの凄いところ

カルカスの凄いところは、「カルカス・スタイル」と呼ばれた独自のコンフント編成を作り上げたことにある。

誤解を恐れずに極言してしまうと、当時のフォルクローレは1曲1曲に明確なコンセプトを与えないまま、何となくアレンジをしてしまうケースも多かったのではないか。

そこへ登場したカルカスは、アルバム中の1曲1曲のコンセプトを明確に定めるところから始めている。そして、それに見合った独自のアレンジを施して演奏を行った。それぞれの楽器の持つ役割意味を見つめなおし、曲に見合った楽器と演奏方法を選択する※4。そのため、彼らのアレンジは他の誰にも似ていない、力強く、焦点の絞られた、バランスの均衡がとれた演奏となったのである。

カルカスに大きな影響を与えたとも言われるチャスカスと彼らの音楽を聴き比べてみてほしい。確かに両者の間には歴然とした差があるのだ。

コンセプトにぴったり沿った楽器、演奏方法、リズム。

だからアコースティックなアルバムにありがちな「どの曲もすべて同じ」という現象がおきない。彼らの曲が常に刺激的で彼らがカリスマであり続けた理由はこんなところにもあるのだ。

そのカルカスが、ケーナをメロディ楽器のメインに据えたチャスカスの手法を継がず、サンポーニャを多用したのはなぜなのか。

●カルカスの求めたもの

答えは「ロック的な要素」の追求だ。

70年代のイギリスやアメリカでのロックの急速な発展は、世界中の音楽界に衝撃をもたらした。以前にも「初期カルカスの音楽性は、ロックの影響が多大」というようなことを書いた。

まあ、そんな発言をすると、ときどき叱られちゃうことになる。

ところがだ。
みーとーさんによると、ゴンサロ・エルモサはカルカスの前にロックをやっていたという話である(「アンデスの太陽」のコメントを参照)。うひひ。

ゴンサロ自身はカルカス結成の経緯に関し、「欧米の資本主義音楽流入の”砦”」などと発言しているのだが、カルカスはそれ故にロックに代わりうるカッコよさを追求していたことは間違いない。

そんな初期カルカスのロック性が最もさらけ出された1枚「Condor Mallcu」を聴いてみたまえ。


"Condor Mallcu"

残念ながら私はリアルタイム世代ではないのだが、あきらかにタイトル曲の迫力は当時のファンにとって、「新しいフォルクローレ」だったはずである。たとえ、グルーポ・アイマラによって"MI RAZA"が発表されていたとしてもだ。

この曲はロック的で軽快なカッコいいコード進行でありながら、最低音のサンポーニャ、トヨが主役である。その雑味のある音の迫力に打ちのめされる。その他、どの曲もサンポーニャの荒々しさと曲のカッコよさが相乗効果をあげており、あげくの果てに最低音のトヨが再度活躍する「TOYOS」なる曲まで存在する。

こうは考えられないだろうか。カルカスはロックで使用されるエレキギターの激しい音を必要としていたのではないかと。サンポーニャの役割はエレキギターの力強い音だったのではないだろうか。

一部のクラシックの愛好家の中には、サンポーニャの音が苦手な方がいると聞いたことがあるが、そう考えると納得もいくではないか。

【注】
※1
奥菜恵とは関係ない。

※2 
ちなみにカルカスは決してケーナをないがしろにしていない。用途に合った使い分けをしているだけである。その証拠に最終曲「LECHEHUAYUS」は、途中ロンロコのカッティング・ソロなども味わえる無茶苦茶カッコいい系のトローテ・ナンバーだが、この曲の主役は大小さまざまなケーナである。「コンドル・マリュク」なんてアルバムタイトル曲でサンポーニャ凄い!と思わせつつ、最後はサンポーニャは1列たりとも使わないのだ。やることがいちいちクールだぜ。

※3 
80年代後半、カルカス・スタイル全盛期にはケーナは全滅かとも思われたが、現在はカルカス・スタイル自体見かけなくなったこと、ムシカ・デ・マエストロスなどの復古運動、エディ・リマなどのケニスタの活躍などの要素が重なり、ケーナもよく聴かれるようになった。

※4
そういった「新たな音作り」で象徴的ともいえるのが、従来の編成では足りない音域のカバー。このためにわざわざ「ロンロコ」という楽器を開発してしまうあたりに彼らの意気込みが伺われる。


【アルバム・データ】
<LP>
"KJARKAS / Condor Mallcu" (1980)
SLP 2145 DISCO HERIBA (Bolivia)

1. PEQUEN~O AMOR (chuntunqui)
2. CONDOR MALLCU (huayn~o)
3. EL DESTINO DE MI PUEBLO (aire de cueca)
4. JOCHI PINTAO (carnavalito)
5. POR UN SUEN~O DE AMOR (tonada)
6. CUANDO LLEGA EL AMOR (chuntunqui)
7. ELLA ES (huayn~o)
8. TUTUMA (aire de cueca)
9. TOYOS (huayn~o)
10. CANTEN CONMIGO (cancion)
11. LECHEHUAYUS (trote)

●なぜかCD未発売。ペルーかどこかでリイシューされてないかな。情報求む!


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伝説のアイマラ!(その2)
2008-03-26 Wed 23:19

【Grupo AYMARA】(1982)

ああ、私は何を眠たいことを言っていたんだ。
頭を抱えてしまう。

今、何気なくQUEENを聴いていたと思いねえ。
すると、突然気付いてしまったのだ。
フレディがおりてきたのだ。あ、不謹慎か。

05年の10月に「伝説のアイマラ!」という記事で
グルーポ・アイマラの名盤『GRUPO AYMARA』に関して、


A面はネオフォルクローレ、B面はアウトクトナという構成。
アルバム全体の構成にこだわっちゃう
構成フェチの私としては
「なんて安易な!」と怒り出してしまうところだが



なんて書いてしまっているのだ。

●コンセプトアルバムという思想

QUEENには『QUEEN II 』(1974)と呼ばれる名盤がある。
「あ」とお気づきの方もおられると思う。



あまりにも有名なアルバムなので、ご存知の方にとっては「何を今更」なのだが、このアルバムはLPアルバムのA面、B面をそれぞれ「サイド・ホワイト」「サイド・ブラック」と対比させたコンセプトアルバムなのだ。

「サイド・ホワイト」は、1曲を除きすべてブライアン・メイのナンバーで構成されており、白い女王のたおやかな世界観を描く。「サイド・ブラック」はすべてフレディ・マーキュリーのあの畳み掛けるようなサウンドで黒い女王の黒魔術的世界観を描いている。

さて、グルーポ・アイマラだが。
彼らはボリビアのプログレッシヴ・ロックバンド、WARAの "EL INCA"、 "PAYA" といった名盤の誕生に関わってしまったメンバーから構成されていた。だから、アイマラの初期のアルバムには、70年代のロックが盛んに行っていたコンセプト・アルバムの香りがする。

アウトクトナをつなぎ合わせることによって生まれる組曲。
アルバムの曲順配置による構成で見えてくる世界観。

●LPレコードだからこできるコンセプト

そうした手法は、本来ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(1967)を起源として、「アルバム」という単位で表現を始めた70年代ロックが作り出したものである。グルーポ・アイマラはそれを盛んに取り入れてボリビアの伝統的な音楽を新しい音楽として開拓していったのだ。

しかし、このアルバムではこうした組曲や曲順配置といった手法は放棄され、A面はネオ、B面はアウトクトナがかっちり5曲ずつ。コンセプチュアルなアルバム作りはやめちゃったの?

……そう、別にコンセプトアルバム的な手法をやめたワケではないのではないか。グルーポ・アイマラのこのアルバム構成こそが、「サイド・ネオ」「サイド・アウトクトナ」を対比させたコンセプト・アルバムなんじゃないのか。そうだとすりゃあ、そこから見えてくるものもあろうよ!

優しいメロディにこころを委ね、カッコいいリズムには身を躍らせるネオ・フォルクローレ。都市生活者を席巻していたネオも一皮むけば、根底にはこんなにプリミティヴな荒々しさに満ちたアウトクトナ世界が広がっている。

わずか数ミリメートルを隔てたLP盤の表にネオ。裏にアウトクトナ。まさに表裏一体の関係なのだと。

フレディに感謝。


●KAUQUIRURAQUI SARJATA (tarqueada)

【アルバム・データ】

Grupo AYMARA (1982)
SLPL-13470(1982)
LYRA (BOLIVIA)

1 AMANECER ANDINO (aire de huayn~o)
2 SARIRI 1 y 2 (estampa)
3 DANZA PARA COYLLUR (danza)
4 AYAWASKA (lamento huayn~o)
5 POR LOS CAMINOS (cancion-huayn~o)
6 JILAKATAS (danzas)
7 KAUQUIRURAQUI SARJATA (tarqueada)
8 SANTU SANTU (suris)
9 APTHAPI (mocen~os)
10 WACA TINTIS (danzas)

●残念ながらCDは発売されていない。


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ロス・テキスに操られて哭き舞うこと鉄人の如し
2008-03-05 Wed 01:56

【 LOS TEKIS / MAMAPACHA 】(2007)

いや、どうせ誰もいわないだろうから。
私がここに書いておく。

ロス・テキスの「ママパチャ」は傑作だぞう。
何、 ノチェーロスの間違いじゃないかって?

いやいや。

ロス・テキスなのである。
あ、諸君。まさか「テキスごときにそんな面白いアルバムを作れるわけない」って思ってないだろうか。 ああ、何ということだ。


私もだ。


ところが実際聞こえてきたサウンドを聴いて、CD読み込み中のMacにその場で土下座。深々と頭をたれるのみである。 ソレダー、ノチェーロス、あとはその他諸々という認識はもう終わりなのだ。

このアルバムの魅力を一言で言ってみよう。
そう、キャッチーなのだ。もうベタベタなまでに。

音楽性の高さ?そんなの自己満足。興味ない。
自己表現?そんなの歌う側のわがままなヘリクツ。
老若男女みんなの心をぐっとつかむメロディ、アレンジ、リズム。
これこそプロの仕事だ。すでにポップスというより、もうポップンポップン(←?)な感じだ。

ベタベタで泣けるメロディにも感心したが、特に優れているのが確信犯的なアレンジメントだ。

●アルバムタイトル曲M-1でアンデス系フォルクローレ宣言。今回はパンパ系じゃないよ。

●イントロでタルカと同時にエレキギターがギュンギュン唸るM-4は、間違いなくロス・ハイバスの名曲 "TARKA Y OCARINA"(1975) を念頭においたアレンジ。ハイバスファンにとっては背中に電流が駆け巡るほどの快感を覚えるはずだ。

●M-8 "Llorar Llorar" は、タイトルからしてカルカスの "Llorando se fue" 事件を意識してない?ランバダとフォルクローレが融合しちゃいましたみたいなアレンジは、自然と身体が動いちゃう魅力たっぷりのクンビア・チューン。

●M-10に至っては、80年代後半のカルカスのメロディとアレンジをそのまんま復活!「ウリーセスの遺作を発見」といわれたら絶対信じ込んでしまうような作品なのである。


今までもさかんにカルカスのカヴァーを行ってきた彼ら。案外そういうトコロから、国境を越えた老若男女のハートをつかむツボを心得たのかもしれない。近年のラテン・ポップス的展開を見せるアルゼンチン・フォルクローレの後継者でありながら、そういったサウンドが苦手な生粋ボリビアファンでも喜んでもらえること間違いなし。

第一、16曲も収録されているのに「捨て曲がない!」と感じさせるその力量に最敬礼だ。

最後にベタだけど言わせて!





テキスステキ!







ぎゃー!




"LLORAR, LLORAR, LLORAR"
歌うときに目を閉じて微笑をたたえる表情自体、"Llorando se fue"狙いでカルカス・ファン泣かせ。

【アルバム・データ】
<CD>
"LOS TEKIS / MAMAPACHA"
8869 710947-2 (2007)
RCA SONY BMG MUSIC ENTERTAINMENT (ARGENTINA)

1. LAS MANOS DEL ALFARERO
2. CARNAVALEANDO - CON SERGIO GALLEGUILLO
3. ORO VERDE - CON RONY VARGAS
4. SIGUE EL CAMBALACHE - CON RUBEN PATAGONIA
5. JILGUERO FLORES
6. NO VUELVO A AMAR
7. TANTO AMOR
8. LLORAR, LLORAR, LLORAR
9. QUIEN
10. TU PARTIDA
11. DIABLERO
12. CARINITO - CON LA MONA JIMENEZ
13. DONA UBENZA
14. AY AMOR
15. VENENO PARA OLVIDAR
16. SELECCION DE CARNAVALITOS

●大手からの最新リリース作でもあり、当分は入手しやすいと思われる。過去の盤はノチェーロス的なサウンドだったりして、これだけアンデス・ファン泣かせの完璧なアレンジと構成は他のアルバムでは見られない。




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抽象的音楽に抽象的なレビュー…フロレンシア・ルイス
2008-03-02 Sun 22:34

【 florencia ruiz / centro 】(2000)
【 florencia ruiz / cuerpo 】(2003)
【 florencia ruiz / correr 】(2005)

今回は一気に3部作同時紹介である。
ボリビアチックなフォルクローレを愛好している方々にとっては
「はあ?今回はパスするか」な音源かも知れない。
え? ああっ、帰らないで。

確かにmixiでも40数名しかコミュがのびていない。
だからこそ、こんな傑作もあるのだということをお知らせしておきたいのだ。
アルゼンチンのフロレンシア・ルイス
アンジェラ・アキみたいなピアノ弾き語り、さだまさしみたいなギター弾き語りスタイルだと言ってしまえば、至極一般的なスタイルのようにみえる。
あえて分類して一言で説明しなければならないとすれば、だ。
でもね。

●音やジャケットに込められた小さな宇宙

5・6年前、初めて聴いて驚いたのはその音。

1stアルバム『Centro』は友人に借りたPCを使って1週間で録音されたCD-R作品。※1
ギターのアルペジオ、もしくはピアノをメインに、サンプリングなどをのせるシンプルな音。
その上に最小限の言葉が重ねられる。
言葉は固い固いぞうきんのようにぎりぎりまで絞りきって
これ以上はないというところまで削ぎ落とした表現。

内省的というか、内向的というか。
自分の中に生まれた気持ちを歌っているはずが、まるで小宇宙そのものの表現になってしまうのが凄い。

そう、彼女は自分の心の内を歌っているつもりでも、我々にとってはそれは1つの「世界」であり「宇宙」なのだ。なんというか、ウパニシャッド哲学って高校で習ったが、あれだ。自己の中の小宇宙(アートマン)と我々の外に展開する大宇宙(ブラフマン)の合一。あのくたらさんみゃくさんぼだい。いや、そんな大層なもんじゃないかもしれないけれど、小さな世界が見えてきてしまうのは事実なのだ。

2ndアルバム『Cuerpo』のアルゼンチン盤ジャケットはそうした音楽性を良く表しているように思う。
桜餅カラーの組み合わせで構成された写真とフォント。
愛猫とフロレンシアの2ショットや、セルフポートレート。
長めの露光で手ぶれを起こした写真。
すべて自室内で撮られたショットでありながら、ちょっとした世界を作り出しているように感じるのは気のせいか。

●三部作で完成された宇宙

2005年。
3rd『Correr』が発売され、待ち続けた彼女の3枚目のアルバムが届いた。
ヘッドフォンから聞こえてきたその音の変化に一瞬たじろぐ。
今までと違う。
ドラムス、ベース、キーボード、ギター。
えらくポップなバンドサウンドからスタートするのだ。

しかし、始まってすぐに納得。
バンドサウンドも選択域に入れたことにより表現の幅が広がり、さらに具体的な世界を描いていくことが可能になる。
相変わらず世界観は内なる自分。でもまぎれのない1つの宇宙。
世界を表現するのに、形式にこだわることはない。あらゆる手段を使って宇宙を縒り上げていく。
室内楽、ポップ、プログレ、音響、フォーク、エレクトロのいずれの片鱗もありながら、いずれでもない。というか、これほどジャンル無用の音楽はない。そこはフロレンシアの世界そのもの。

1st「Centro」の最終曲「Aero(空気)」で「空気/自己分解/私は自分自身を見つけたい」と歌った彼女。3部作最後の「Correr」中、クライマックスを飾る「Vivire」で

空気というものは/人間にとって絶対になくてはならないもので/どんな人でも必ず(呼吸)していて/……それは金持ちの人でも貧しい人でもみんなが絶対しているもので/……植物も動物もみんな生きていくために(必要と)していくものです」

と、1stに対する解答を曲中にフィーチャー。5年間にわたる3部作の輪を閉じた。※2



"Vivire"

わずか15~30ほどの単語。
3行から10行にも満たない言葉。
たったそれだけで1曲が構成される独自世界。
3部作は、時に息苦しく重い世界をも描きながら、ありのままに生きる清々しさを感じさせながら幕を閉じた。※3

たしかにこれが彼女そのものなのだろう。

【注】
※1 
幼稚園の先生をしていた彼女。シャイな性格だとかで、作曲をしていることさえ誰にもいえなかったとか。第二のフアナ・モリーナだとか、アルゼンチンのビョークだとかアルゼンチン音響派のカテゴライズで語られることが多いが、とりあえず、フロレンシアはフロレンシアである。

※2
この台詞、なぜかフロレンシアの日本人のお友達が日本語で語っている。

※3
ここまで書いて、フロレンシアがロシア文学の影響を受けているという話を思い出した。そういえば、ロシア文学も息苦しく重い世界だが、最後は清々しい解脱感を持って終わる話が多いような…。


【アルバム・データ】
<CD>
"florencia ruiz / centro " (2000)
型番なし(ARGENTINA)
1. Centro 
2. Revolver
3. Domino
4. Patos
5. Pases
6. Aero

"florencia ruiz / cuerpo "(2003)
型番なし(ARGENTINA)
1. Nin~o 0 
2. Siberia
3. Del cuerpo
4. Man~ana
5. Alcanzar
6. Sin imagen
7. Parte
8. Ahogarme en mi
9. Despierto

"florencia ruiz / correr "(2005)
型番なし(ARGENTINA)
1. Correr 
2. Hasta la Primavera
3. Majandote
4. Mundo
5. Nube
6. Migajas
7. Intemperie
8. Lugar
9. Desato
10. Vivire
11. Nijni

●アルゼンチン盤はすべて自主制作盤。1stに至ってはCD-Rである。
しかし、USAやチリ、メキシコなど海外でも彼女のサウンドは注目され、リリースされているようだ。日本でも1stと2ndの2枚組が正式にリリースされている。

<CD国内盤>
"フロレンシア・ルイス/クエルポ+セントロ" (2005)
PCD-25024/5 P-VINE RECORDS(国内盤)


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