このときカルカスは頂点に立ったのだ
2009-06-10 Wed 00:16

【KJARKAS/ Chuquiagu Marka 】(1988)
つまり、マナではなくカナなのである。

はあ?見分けがつかないわい、などと仰るあなた。
まあ聞きたまえ。
例えば、君が遅刻ギリギリ女子中学生だとする。パンを食わえながら家を飛び出していったと思いねえ。

三叉路の角、電柱の向こうからも慌てて走ってくる人物。
出会い頭に☆が見えるほどぶつかったってわけだ。
「痛えな、このヤロー、どこ見てんだ」
「あ、あんたこそ!」
(も~、朝からヤなことばっかり。むかつく。プンスカ)
ガラッ。「起立、礼」
「紹介しよう、転校してきた後一条翔太くんだ。」
「うそっ!あいつじゃん」
「あっ、テメエ、朝のガサツ女!」
「コラコラ、もう痴話げんかか」(一同笑)
(も~、あいつのせいで1日がサイテーだわっ!)

雨の中。
段ボールに捨てられた子犬、それを抱き上げる後一条翔太。
「よしよし、かわいそうに。オレんちにつれてってやるよ」
遠くでそれを見てしまったあなた。
きゅん。
(なんなの?この気持ちは……)


諸君、この気持ち(「きゅん。※1」)を別のことばで表現してみたまえ。
ただし漢文で

難しかろう。
高校時代、漢作文に挑んだ人はわかるだろう。こうしたニュアンスは日本語表現に頼らざるを得ない。
かつて、日本人は「文字」を中国から輸入した。たしかに漢字によって、それまで口頭手段しかなかった記録表現が大いに広がった。
しかし、もっともっと自在に表現するようになるには、これでは足りなくなる。
その結果、いつのまにか中国の漢字(真名)を崩して日本語の文字(仮名)として使用するようになり、細かな感覚・微妙なニュアンスまで自由に表現できるようになるのだ。

88年の名盤『チュキアグ・マルカ』Chuquiagu Marka はまさに、細かな感覚・微妙なニュアンスまで自由に表現できるようになった仮名文字なのである。
84年のアルゼンチン録音の『アンデスの太陽』Sol de los Andes 、86年の日本録音『エスペランサ』Esperanzas において、表現の「ワクを壊す」という作業はすでに終了した。あとは思う存分、新しい歌を自在に謳い上げ、深みまで掘り下げ、紡いでいくだけだ。
「カルカス」というジャンルの完成、熟成の証ともいえる傑作である。

●M-1の表題作※2は、前年の傑作「TIEMPO AL TIEMPO(時が経てば)」をさらに発展させたといってよいカントゥ。少しずつ盛り上がって最後に歌い上げられるJAYAYAYAYというヴォーカルだけでなく、その直後のサンポーニャの雄々しくも荒れた音こそがサビとも言える最高傑作。
●続くM-2には、リズミックな迫力のナンバーを持ってきてM-1で盛り上がったテンションをあげ続ける。ゴンサロ→コーラス→エルメールとヴォーカルをバトンする展開はラテンアメリカの連帯を呼びかける内容にふさわしい構成。
●一転、M-3では美しすぎるメロディのポップス。かつての来日公演で初めて耳にしたときには、あまりに新しいサウンドだったため、呆然としたものだ。
●その他、多くの曲が1曲の中で静と動の両方を含み、ドラマチックな展開をみせている。本来の伝統的で単調な展開にはあり得なかった曲作りである。


きちんと、カントゥやウァイニョなど伝統的なスタイルを基礎としているのに、歌いたい感情やシチュエーションにあわせて自由に曲が生まれ、伝統的リズムを「縛り」としないステップにまで至っているのだ。これがどれだけスゴいことか。黒田節や北海盆歌の形式を発展させ、ヒットチャートに入るようなポップスとして自在に歌えるということなのだ。

漢字の不自由さを脱ぎ捨て、自在にカナを使いこなすかのように。

【注】
※1 
日本語の場合の正解例:「赤い実がはじけたの」
80年代少年マンガの正解例:「ズキューン」
大阪の正解例:「チコタン死んでもた」

※2
アイマラ語で「みずがやの町」。ラ・パスのこと。




"Sin Ella"

【アルバム・データ】
<LP>
"KJARKAS / Chuquiagu Marka" (1988)
BOLRL-1577
LAURO RECORDS (BOLIVIA)

1. CHUQUIAGU MARKA (huayn~o)
2. LATINOAMERICA (huayn~o)
3. SIN ELLA (Chuntunqui)
4. QUIERO SABER (huayn~o)
5. LIBRE AL VIENTO (huayn~o)
6. YUYARIWAY URPI (pasacalle)
7. CAMARGO (cueca)
8. REQUIEM PARA UN PUEBLO (tonada)
9. TOMAS KATARI (chuntunqui)
10. EL PICAFLOR (kantu)

<CD>
"KJARKAS / Chuquiagu Marka" (1995)
C.D. 91150120
IEMPSA (PERU)

●CDはペルー盤が出ているが、ボリビア盤は不明。

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カルカス・日本から愛を込めて
2009-06-02 Tue 13:44

【 KJARKAS / ESPERANZAS(カルカス/エスペランサ) 】(1985)

何てことだ。
気持ちが全く盛り上がらない。
18年ぶりにあのカルカス来日するという大事件のはずなのに。
埼玉公演を明日に控えているというのに。
何とチケットを購入したのは1週間前

全盛期には、それこそ24時間毎分毎秒カルカスのことしか考えていない状態だったのに。
カルカスTシャツでも作りかねない状態だったのに。
クルマにカルカスのロゴを入れて、カルカスずんどこでカッ飛ばしかねない状態だったのに。
オムライスの上にケチャップで「カルカス♡」って書きかねない状態だったのに。
カルカスマニアを自認してたのに。
これでは自認というより辞任である。自刃である。介錯つかまつる。

理由はわかっている。
ウリセスの死後、10数年間。
心を揺さぶられたアルバムが全くないのだ。

サンタナなどラテンロックの魅力。それはこんな風にもいわれる。
「一歩間違えると演歌的ダサさ紙一重というカッコよさ」。
ギリギリで踏みとどまっている音のカッコよさ!
一方、ウリセスという羅針盤を失ったカルカスは、踏みとどまるどころか、全力であっちの世界に踏み込んでいった……。

ということで、来日記念カルカス祭りである。
失われし偉大なる第2期カルカスを偲び、全盛期の名盤を彼らが帰国する前に何点かとりあげることにしたい。

今回は85年に日本で制作・録音・リリースされたアルバム『エスペランサ』。
ボリビアでは『LOS KJARKAS DESDE EL JAPON』としてリリースされた。

このアルバムの名盤たるゆえんは、アレンジや楽曲作りに試行錯誤を続ける「新しい音」が聴ける時期の作品だから。※1
カルカス第2期(2006 2/7「カルカス登場!」参照)ウリセス節が9割9分9厘完成し、その充実度たるや波動エネルギー充填120パーセント。いつでも波動砲発射準備完了とでもいうべき状態。

●ケナーチョ(低音ケーナ)がメロディを歌うM-5は、リズムセクションなし。南米音楽に絶対不可欠なパーカッションはおろか、ギターやチャランゴのカッティングさえも排するところが徹底している。ところが最後の30秒で劇的にパーカッションが登場。トゥパック・カタリの悲劇的な最期を描き出す。しかも、それがボンボでもウァンカラでもボンゴでもカホンでもなくティンパニなのである。

●M-6は迫力あるアイレ・デ・クエカ。クエカをトローテやカルナバルのように劇的に演奏し、サビで
0コンマ数秒の沈黙にギターのベース弦だけをはじくカッコよさ。

●M-8鳥の声の中をチャランゴやロンロコのアルペジオ、そしてケーナがサンポーニャ、ボンボが重なっていく。ホールで録音されたかのような美しいエコー残量も計算されつくされており、余韻たっぷりに消えていく。最後に残るのは鳥たちの遠くの声。

●M-10は、チャランゴの中をサンポーニャの迫力で聴かせるE.カブールの「レーニョ・ベルデ」を彷彿とさせるスピードチューン。しかし、スラッシュメタルのようなボンボといい、途中でケーナの流麗なサウンドをインサートする構成といい、ここまで来たかと唸らせる。※3

●M-3は音楽的にも内容的にもボリビア版の「EL HUMAHUAQUEN~O」。ゴンサロは来日せず、楽曲もほとんどがウリセスによる新しいスタイルのナンバーによる制作で、新しすぎてもオーディエンスがついてこられるよう(?)、珍しく採譜モノ。


アルゼンチンで制作された6th『SOL DE LOS ANDES』。
日本で制作された8th『ESPERANZAS』。
この2枚は初期カルカスの実験作である4th『DESDE ALMA DE MI PUEBLO』の方向性をさらに追求、別ジャンルや海外のセンスを貪欲に取り入れて新たなサウンドを構築することに成功した2枚なのである(2006 10/9「アンデスの太陽」参照)。静謐たる力の『SOL DE LOS ANDES』に対して躍動の『ESPERANZAS』、いずれも今までにはない工夫に満ちた大傑作である。※2

この後のカルカスのサウンドは、安定した熟成期に入っていく。
その様たるや遣唐使を廃止した後に開花する国風文化のごとし。
そういう意味でいわば「若きカルカス」の記念碑ともいえるアルバムなのである。


【注】
1
日本盤オビに書かれたコピーは「全世界発売決定!! フォルクローレ界の頂点カルカスの最新盤は日本録音。この1枚に現在を生きるフォルクローレの全てがある。」最後の一文は、なかなかこのアルバムの核心を突いている。


録音の精度もアルバムの出来に大きく影響する。たとえ優れた楽曲を作成し、優れた演奏をしてみても、それを活かした録音が出来なければ、魅力は半減どころか耳障りになる可能性すらある。それまでのボリビア盤は、低音や高音の収録音域が極端に狭かった。そのため、低音域はスカスカ、ボンボや低音ギターなどのベース音がほとんど聞こえない。高音域はつまってこもった花粉症状態。チャランゴは耳障りな針金の音にしか聞こえない録音も多かった。当時、デジタル化が最も早かったクラシックでさえジャケットに華々しく「DIGITAL RECORDING」と謳われた時代。そんな時代に、カルカスの音質を十分理解してのデジタル・マスタリングだった。アコースティックな音源であるが故に、効果はてきめん。これだけチャランゴのクリアな高音が美しく、ボンボ、ギターの低音やアンサンブルが力強いボリビア音楽のアルバムは初めてといってよかった。

3
日本語解説ではカルカスから聞いた内容として、「ILLAPSとはコチャバンバ近郊の村の名前」としている。ただ、曲調から想像するに「ILLAPAS」とは、この場合はケチュア語の「雷」もしくは「雷神」を指し、ILLAPASという言葉は「コチャバンバ近郊の村の名前」にもなっていますよー、ぐらいにとらえた方が良いような気がする。あ、このサイトのモットーは独断(笑)




"Muchacha Ojos Tristes"


【アルバム・データ】
<LP>
"KJARKAS / ESPERANZAS(カルカス/エスペランサ)" (1985)
POLYDOR (JAPON)
28MM0467

01. JIYAWAY SAMBITA
02. ESPERANZAS
03. VIVA COCHABAMBA
04. K'OYA MAMAY
05. TUPAC KATARI
06. MUCHACHA OJOS TRISTES
07. PEQUN~A AYMARITA
08. MARIA AMANECER
09. ALBORADA DE AMOR
10. ILLAPAS

<LP>
"KJARKAS / LOS KJARKAS DESDE EL JAPON" (1985)
LAURO (BOLIVIA)
BO/LRL-1517

<CD>
"KJARKAS / DESDE EL JAPON" (2003)
LAURO (BOLIVIA)
LCD-0319


● CDはボリビア盤より10年近く前からペルーIEMPSAレーベルがリイシューしている(C.D.91150152)。
●このような名盤、しかもカルカスであるにも関わらず、ボリビア盤はCD-Rであるとの噂。

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