塩を入れたら甘くなった! …ノーバリマ
2010-05-08 Sat 13:45

【NOVALIMA / COBA COBA 】(2009)

初めて聴いたときは驚いた。

ひとことで言えば、ムシカ・アフロ・ペルアーナ・エレクトロニカ?
例えばスペインのOjos de BrujosやらアルゼンチンのGotan Projectなどの活動を考えると、もちろんペルーでもこうした動きがあってもおかしくないのだが、「ペルーじゃ無理でしょ」みたいな頭がどこかにあったのだ。

よく考えたら、ペルーには "アクンドゥン" で有名なMiki Gonzalezなんてアーティストもいる。かなり前からそういう動きがあったわけだ。

ここに紹介するのは、ノーバリマ Novalima の3rd "Coba coba"※1


"Coba Guarango"

そもそもペルーのムシカ・クリオージャは80年代には失速し、先鋭的な輝きは失われていた。
何より、ペルー国内で新しいアレンジやスタイルに挑戦し続けていたのが、40年ほどのキャリアを持つ大ベテラン、エバ・アイジョンであって、若手の動きが見えてこないあたりが何とも気になってはいたのである。

ところが、ついにこんなムシカ・クリオージャがきたか、っちゅうダブ。

とうとう世界にムシカ・クリオージャが広まる時代が到来か。
ピストン西沢が、J-WAVEで「フロール・デ・ラ・カネーラ」と「アンパンマン」をリミックスしちゃったりするのかい?
クラブでみんなそろって「トロ・マタ」とか踊っちゃったりするのかい?(←コワい)

「今こそペルー中のダブをかき集め!一大クリオージャ・エレクロニカ軍団を組織する!」※2

ムシカ・クリオージャ・ペルアーナと言えば、カホン、カヒータ、キハーダといった生の太鼓サウンドが命でしょ。エレクトロニカ、ダブやリミックスなんて手法は、そうした本来の魅力を根底から打ち消しかねない。

ところがだ。リミックスすることで、むしろノリが強調され、「……これアリじゃん」。

考えてみれば、これはコロンブスの卵である。
いうなれば、スイカやトウモロコシ、しるこに対するみたいなアレンジなのだ。

え?わからない?
つまり、こういうことだ。甘みと塩なんて、本来なら打ち消し合うような関係なのに、塩を投入することで、かえって甘さ強調されるでしょ。
生のカホンなどの音が聴きにくくなることで、ムシカ・クリオージャとしてのサウンドのアイデンティティを失いかねないはずなのに、かえってノリが強調されるでしょ。まさに塩。よし、これを塩アレンジ、と呼ぼう。






ごめん、呼ばない。

ともあれ、今じゃ、スイカに塩なんてあたりまえだけど、初めてやった人はエラいと思うよ。何? だからどうしたって? じゃあ、あんたも初めての味付けやってみい。バナナに塩つけるのか?ん?マンゴーに塩つけるのか? え? 桃に塩つけてみれ、ほれ。※3

【注】
※1
日本で紹介されたのは2nd "Afro" から。これはそれこそ「トロマタ」や「サンバ・ランドー」をはじめとした有名曲がずらりと並んでいる。しかし、アルバムとしての完成度は3rdの方が格段に上と考えて、あえてこちらを紹介した。

※2
永井豪「デビルマン」

※3
これ、i-podで外で動いてるときに聴くのが正解だね。座って聴くか、動いてるときに聴くかで評価がずいぶんと変わってくる。まあ、もちろん、こんなのクリオージャ音楽と違うわい!というファンもいるだろうけど。その考え方も正解。


【アルバム・データ】
<CD>
"NOVALIMA / COBA COBA "
CMB-CD-9(2009)
CUMBANCHA (USA)

01. Concheperla
02. Libert
03. Se Me Van
04. Ruperta/Puede Ser
05. Africa Land
06. Coba Guarango
07. Camote
08. Mujer Ajena
09. Tumbala
10. Kuman
11. Yo Voy
12. Bolero

●日本でもライス・レコードからRICE CBR-217「ノーバリマ/コバ・コバ」として販売されている。

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マチュ・ピチュの頂で……ロス・ハイバス
2010-05-04 Tue 21:25

【 LOS JAIVAS / Alturas de Machu Pichu 】(1981)

仮に当時、邦盤LPがリリースされていたとしよう。「悠久のインカ遺跡を描く大ロマン!」なんてオビが付きそうだ。アルバムのジャケット、歌詞、音楽。すべてが素晴らしい叙景詩。

……なーんて、思っている方。実はそんな悠長な内容ではないぞ。
このアルバム、重要な比喩が隠されているのだ。そうだね、存在自体がきわめて壮大な隠喩なのだ※1。このアルバムのテーマはとことん「隠された主張」と見つけたり!

●主張その1【ジャケット】
そもそもが「パブロ・ネルーダの詩を音楽にした !!」という時点でもうイカれてるのである。
確かに一世を風靡した南米文学ブームもいつのまにやら過ぎ去った。今や彼の名前が取りざたされることも日本じゃほとんどない。今ではせいぜい「チリのノーベル文学賞詩人」ぐらいの認識だろう。

しかし、パブロ・ネルーダといえば。
南米ではチェ・ゲバラと並ぶ共産主義の大英雄ビクトル・ハラと同様、ピノチェト軍事クーデターの犠牲の象徴でもある※2。そもそも、ゲバラが夜な夜な兵士たちに「マチュ・ピチュの頂」が所収された『大いなる詩』を朗読してやっていたというくらい象徴的な存在なのである。だから、彼の名前をジャケットに持ってくるだけで、暗に何らかの主張をビシバシしていることになる。ビクトル・ハラの『ラ・ポブラシオン』だとか、キラパジュンの『ポル・ベトナム!』みたいな、そのまんまの大仰なタイトルをつける必要は全くない。実は何でもないようにみえるこのジャケットが、たった一人の名前がクレジットされることで、一種の過激な隠喩をしかけていることになる。

●主張その2【内容】
ちなみに、日本のWikipediaの「パブロ・ネルーダ」の項目にはこの作品を「美しい自然を描いた作品」とある。

確かに、ネルーダ自身がマチュ・ピチュを登っていく情景を描いていることに間違いはない。しかし、この詩、前半の複雑な隠喩オンパレードに韜晦されてわかりにくいが、決して南米大陸の遺産を絶賛する讃歌などではない。マチュ・ピチュを訪れたネルーダが、そこにも現代社会と同様、搾取され、苦しみ死んでいった被支配者階層の痛みをみてしまう、という内容なのだ。

「私に言ってくれ ここで罰を受けたと」
「お前たちの死せる口を通じて語ろうと 私はやってきた」
「地上に散在する ありとあらゆる黙した唇を集めるのだ」
「私の言葉と血を通して さあ話すのだ」※3


ネルーダは、そうした人々の犠牲の上に成り立った壮大なマチュ・ピチュを激しく批判し、名もなく死んでいった人たちの怒りを歌い上げて終わるのだ。これがプロテスト・ソングでなかったら、何なのだ?

「歴史」「遺跡」というオブラートに包みながら、40~50年代当時の社会を批判する一種の隠喩なのである。※4

●この作品の凄み【違う考えの人をも納得させられるか】
でもね。こんなことやってるから傑作だなんていわないよ。
「言いたいこと」があったってそれだけじゃ傑作にはならない。だってそれだけじゃ「音楽」にはならないのだ。第一、露骨な主張をそのまんま垂れ流されれば、うるさいだけでしょ。

「汚れたオトナになんてなりたくないーらららららー」 えっ。お前、まだ汚れてないの?
「ウォウ、ウォウ、戦争をやめろー」 歌なんか歌ってないで、なんかしろよ。
「盗んだ○○○で走り出すー」 ←通報しました。

疲れた身体にむち打って、2時間かかる郊外の自宅へ帰る残業帰りのお父さんなら、そう思うわな。主張だけで精一杯という作品は、そうでない立場の人を説得できないのよ。
大事なのは、違う考えや立場の人たちをも「それもありか」と思わせるチカラ。 

そこで ロス・ハイバスLos Jaivas だ。
ハイバスのこのアルバム "Alturas de Machu Pichu(マチュ・ピチュの頂)" の何がスゴいかって。

彼らの主張云々の前に……

・知性・感性・民族の血に訴えた三位一体の傑作組曲を完成させたこと。
・軍事クーデタによって母国を捨てる決意をした彼らの想い。この想いをネルーダの世界観に仮託するために、プログレの様式美を存分に駆使したこと。
・伝統的なクエカトローテも交えながら壮大な組曲とも言えるアルバムを仕上げきったこと。

う~む、すばらしい……。
20世紀が生んだ南米プログレの名盤の1枚であることに異議を差し挟むものは誰一人いないだろう。主張がどうのこうの言う前に作品として恐ろしく完成された名盤に出来上がっているのだ。

何かを訴えるには、そのまま直接的に説明して吐き出すより、音楽として、映画として、小説として、絵画として……受け入れてもらえる表現を目指す方がいいこともあるのだ。素晴らしい傑作は何度も味わってもらえるだろう。何度も味わっているうちに、だんだん鑑賞者が感化されてくることもあるかもしれない。

この際、主張は何であろうが関係ない。右派であろうが左派であろうが。ジロンド派であろうが、ジャコバン派であろうが、ジャムパン派であろうが。ちなみに私はご飯派だが。
大傑作は大傑作なのだ。外国の言葉なんかチンプンカンプンな世界中の俺たち、文学なんか全く興味のない世界中の我々。そんな輩にまで、彼らはパブロ・ネルーダを知らしめ、そしてその詩に自分たちの想いを重ねた。「音楽」の力で。※5

美しい別の表現に変えて言い回す。
「詩とは隠喩だよ」が本当ならば、ハイバスはまさにネルーダの思想を体現したことになる。

【注】
※1
このアルバムの原詩を描いたパブロ・ネルーダは、隠喩が巧みな詩人として有名だった。彼と無学なポストマンの交流を描いた『イル・ポスティーノ』なんて映画が94年にイタリアで作られているが、この映画でもネルーダは「詩って何?」というポストマンの問いに「隠喩だよ」と明快に答え、この「隠喩」を鍵に話が進行している。
※2
パブロ・ネルーダは、1970年の大統領選挙で共産党より大統領候補に指名されるほど、人気が高かった。しかし、アジェンデを大統領にして人民連合を成立させるために、これを固辞、社会党のアジェンデ政権が誕生した。駐仏大使に任じられたネルーダは、わずか2年後にはガンを発症し、帰国。翌年9月11日には、ピノチェトの軍事クーデタが発生し、ネルーダ邸は軍の家宅捜索によって徹底的に荒らされたという。そのストレスか12日後には危篤状態に陥るが、救急車の搬送に軍の妨害が入り、病状が悪化してなくなった。
※3
パブロ・ネルーダ著・野谷文昭訳『マチュピチュの頂』書肆山田 2004 [1947/1950]
※4
原詩は12編にわたる長大な内容のため、ハイバスは一編の内容から一部を取り出したり、大胆に数編とばしてしまうなどしてこのアルバムを作成している。その際、過激な下りは隠されてしまっている。
※5
以前にも書いたが、このアルバムは「ロック」という存在そのものがアンダーグラウンドな存在であった旧ソビエト社会主義共和国連邦においてもリリースされていたとか。




"Antigua America" (LOS JAIVASの演奏は、2:34から)。

【アルバム・データ】
<LP>
"LOS JAIVAS / Alturas de Machu Pichu" (1981)
CBS LIL 0003 (Chile)
SAZAM Records SZ 50-14573-0 (Argentina)
01. Del Aire al aire
02. La poderosa muerte
03. Amor americano
04. Agila sideral
05. Antigua America
06. Sube anacer conmigo hermano
07. Final

<CD>
"LOS JAIVAS / Alturas de Macchu Picchu" (1995)
COLUMBIA 2-462057(Argentina)


"LOS JAIVAS / Alturas de Macchu Picchu" (2004)
COLUMBIA 9-462057(Chile)


●81年のLPリリース時は「MACHU PICHU」とのスペルだったが、82年には「MACHU PICCHU」、CDリリース時は「MACCHU PICCHU」に改められている。ちなみに、パブロ・ネルーダの原詩は「MACCHU PICCHU」。
●私の所有しているLPはアルゼンチン盤で、ジャケットはインティタワナ。ネット上を調べると、ディアブロのジャケットも多い。最初はアルゼンチン盤とチリ盤の違いかと思っていたが、どうやら、そういうわけではなく、81年初回盤がインティタワナの見開きジャケット、82年以降がディアブロのペラジャケ、ということらしい。
●1995年盤CDは、1993年盤CDの価格を抑えて再リリースしたもの。ソニー・ミュージック・エンターテインメント・チリは利権管理のみで、事実上のアルゼンチン・リリース。こちらのジャケットは、82年盤をもとにしている。
●2004年には数量限定リマスター盤がチリからリリースされている。紙ジャケ36ページブックレット付きの超豪華盤で、ジャケットデザインは81年初回限定盤をもとにしている。


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