踊るジャガイモの20年間…カラ・マルカ
2011-09-12 Mon 22:39

【 K'ALA MARKA / CUANDO FLOREZCA EL CHUNO 】(1991)

ボリビア音楽史を変えた一枚なのだ。
90年代にこのアルバムがリリースされて以来、彼らカラ・マルカ K'ala Marka が作り上げた潮流は全く変わらないままだ。もう20年以上が経過しようとしている。誰もがこのアルバムを認めぬ訳にはいくまい。

●踊る曲から、聴く曲へ
この一枚の歴史的意義を分かってもらうには、ボリビア音楽史を変えた名盤・名曲が過去にいくつもあったことを知らねばならぬ。
例えば、エルネスト・カブール Ernesto Cavourの有名なナンバー「緑の大木」 Len~o Verde(1975)の登場がそれだ。緊迫感溢れる怒濤の3拍子カルナバルで演奏される劇的スピードチューン。どこで読んだのか思い出せないのだが「それまでのフォルクローレが基本的に踊る音楽であったのに対し、カブールはこの1曲で踊れない音楽、聴くためのフォルクローレを提示した」という内容の記事を読んだことがある。我が意を得たとばかりに膝を叩いたものである。


●Grupo Naira (Ernesto Cavour)/"Len~o Verde"

もっとも、欧米の商業音楽シーンにおいては、この流れはアンデス諸国より10年程先んじて顕著であった。50年代には8ビート、3コードの「ロックン・ロール」が欧米社会を一世風靡していたが、60年代にビートルズが実験的作品群を引っさげ、「ロック」という表現手段を開拓していったのである※1。

一方、ボリビアでは同心円理論的に遅れること約10年。少なくとも70年代にはカブールらによって若者を熱狂させるフォルクローレの文法が開発された※2。さらにワラ Waraの活躍で実験は推進され、80年代初頭には遂にポップ歌謡路線を全面的に打ち出したカルカス Kjarkasの名盤『わが故郷の娘たちへ』Canto a la Mujer de mi Puebloが登場。ボリビアのみならず、スペイン語圏に「Wa ya yay」「Llorando Se Fue」がヒットすると「聴くフォルクローレ」という形態は完全に定着した。以後、ボリビア音楽界ではカルカスを真似た歌謡路線、ポップス路線が主流となり、90年代の初頭まではカルカス・スタイルのバンドばかりという状態にまでなっていた。

この流れを大きく変えたのが、カラ・マルカのアルバム『チューニョの花が咲く時』Cuando Florezca El Chuno(1991)のヒットなのである。

●聴く曲から、再度ダンスミュージックへ
そもそも、彼らがヒットさせたリズム、トーバス"Tobas"は前年のアルバム『Isla del Sol』(1989年仏盤『Bolivianita』のボリビア盤)で初めて披露されたのだが、このリズムがなかなか好評。そこで次のアルバムでもTobasをタイトル曲としてクライマックスに持って来た。しかも間髪入れずにティンク"Tinku"のリズムのナンバー「Aguas Claras」を配して怒濤のアルバムとした。

当初はマルコ・アントニオ・ペーニャやロランド・リマ※3が在籍していたカラ・マルカも、この頃はウーゴ・グティエレスとロドルフォ・チョケのわずか二人のみになっていた。そんなこともあってリズムやベース部分はシーケンサーを効果的に駆使するデジタルなマルチ録音でアルバム作成を行うことになるのだ。しかし、これが功を奏してリズムが引き締まり、今までにない熱狂的なサウンドを作ることに成功するのだ。

このアルバムはボリビアで大ヒットしただけでなく、それこそ国境を超えて世界中のミュージシャンもこぞってカバーし始めた。サンファニートしか演奏しないエクアドルのバンド、ドイツに出稼ぎ中のペルーのストリート・ミュージシャン、日本の大学のサークル生たち、そしてもちろんボリビアのミュージシャンたち。それこそ世界的な勢いで各国のフォルクローレ界は変貌を遂げていく。

そう、聴く音楽の要素が強かった歌謡ポップス路線から、いつのまにか完全なダンサブル路線へ。翌年にリリースされた『Del Los Andes Al Amazonas』ではさらにリズムが強調されたアルバムが大ヒットし、不動の地位を築くに至る。

カルカス・スタイル一辺倒だったボリビア・フォルクローレ界は、今度はカラ・マルカのスタイル一辺倒になったまま現在に至るわけだ。

【注】
※1
意外と知られていないことだが、世界中の大衆音楽をギターやドラムといった「国際標準編成」にしてしまったのはビートルズのブームがきっかけといってよい。それまで各地域で大喝采を浴びていた大衆音楽を皆欧米式に変えてしまったのである。

※2
そうした前提に立つと、70年代のカブールの活躍は当時、続々と世界中の音楽をグローバル化して地域性をなくしてしまいつつあった欧米ロックと戦うためのアイデンティティ・オルタナティブ・ロックであったといってよい。まさにこの延長線上に歌謡・ポップ性を強めた80年代以降のカルカスブームがあり、B-Popとでも言うべき音楽が完成したのだ。何をもって「民族音楽」というかの定義は難しいが、少なくともネオ・フォルクローレは「インカ時代から伝統的に受け継がれた民族音楽」などではない。むしろ、当初はロックをめざし、後にポップスに熟成したと見るのが正しい。

※3
カラ・マルカを抜けた二人はオリャンタイOLLANTAYを結成するが、マルコ・ペーニャは脱退して1998年にPUNTO NAZCA(当初はNAZCA)を立ち上げ、現在に至っている。



●Cuando Florezca El Chun~o

【アルバム・データ】
<LP>
"KALA MARKA / CUANDO FLOREZCA EL CHUN~O" (1991)
INBOFON IBLP-30.035 (BOLIVIA)

01. LLAMERADA
02. MAMITA
03. PRIMAVERA
04. LLOC'ALLITO
05. CUANDO FLOREZCA EL CHUÑO
06. AGUAS CLARAS
07. REBELDE
08. PASANDO POR OTAVALO

●8曲中5曲が翌年にリリースされたベストCDに収録されていることもあってか、2011年9月現在CD化の情報はない。

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